レモネード飲みたい

できれば炭酸の

その目を合わせた先は

心底嬉しいことがあった。

だからそれを書き記しておきたくて、ブログを開いています。

 

国語の宿題で日記みたいなものがあって、日記を書くこと自体が趣味と化している私としては最高です。

それをだ調で書いたものですから、ですます調がわからなくなってきました。感情のまま書いているからか、余計分かりずらいものになりそうです。

 

 

軽音部が始動しました。

ようやく、遂に、理想が形になる日が来ました。

 

急いで着替えて、ベースを担いで。

真っ暗なバンドルームを開けてもらって、準備をしていたらメンバーたちが続々と集まってきました。

いつものバンドメンバーと、軽音部に入ってくれたギタリストたち。

この状況で、既に嬉しくてたまらない自分がいました。

だって、できたんだもん。軽音部。

 

何故かにやけているドラムとギターを横目に、浮ついた心でベースを弾きます。

するとギターから、

何やらおもむろに二つの箱とコードを渡されます。

「これどうぞ」

みたいなことを言われて、手渡されるはエフェクター

……まじですか。

なんとなく、ブログ読んでそんな気はしたけどっ、、え?

もはやどんな反応すればいいかわからんて。

本当にありがとう、大切にいっぱい可愛がります。

あまりに動揺しちゃって薄っぺらかったから、今言います。

死ぬほど嬉しい。

 

 

始まるバンド練習。

しかしなんだかんだ曲が弾けないからと、外で練習しにいくリードギター。あまりの通常運転。

そしてやっぱり、宣伝不足だったからか、誰も来る人がいなかったわけです。

知っている後輩なんて一人もいないし、どうやって宣伝するんだと言う話です。

 

 

二人で合わせたりしながら、リードとドラムを待ちます。

曲を何回か合わせていたら途中で、マイクスタンドに不調が生じたんですね。

曲中にがくんってスタンドが下がったりして。

なので新しいマイクスタンドをゲットすべく、部屋を出ました。

スタンドを片手に部屋へ戻ろうとすると、何やら声が聞こえるじゃないですか。

ドアのガラス越しから、その人影を確認します。

同学、ではない。先輩?……でもない。

……後輩じゃん!

後輩たちが何やら楽しげに話していました。

右手にスタンド、もはや剣のように担がれたそれを握りしめながら考えました。

これまた一世一代のチャンスだと。

ここで話しかければ、後輩が来てくれるかもしれない。

怖い、でも勇気を出すのは、こう言う時のはず。

ドアから覗く不審者だった私は、覚悟を決めました。

「バンドやってるんだけど、見に来ない?」

散々迷ったのに口を開けば簡単に言葉が出て、一瞬でも恐怖を覚えた自分がおかしくなります。

「軽音部見学のために来ました!」

そうやって笑って言われたものだから、もう驚きすぎて。

あれ、来てくれる子いるんだって。

嬉しくてたまらなくて、スタンドを持ちながら走りました。

 

「聴いて驚け。後輩連れてきた!」

そう高らかに宣言した後、後輩とバンドルームへ向かいました。

やっぱりメンバーたちは驚いた顔を浮かべていて、おかしくなりました。

 

結局今練習していた曲を披露することにして。

まだ真新しいマイクの前に立つギターと、今まさに譜面を覚えたギター、ドラムと音を合わせます。

私もピックで弾いてるから余裕はなくて、それはそれはぐちゃぐちゃでした。

でもふと顔を上げればメンバーと目があって。

ドラムを見れば、いつものように死んだ顔で叩く彼がいて。

後輩の前で演奏できて嬉しいとでも言ってるかのように、にやけたギタボがいて。

リードはいつものように肩をすくめて、仕方ないかのように笑うのだから。

欠けた演奏でも、それがきっとこのバンドで、だからいいんだって。

 

久しぶりに誰かの前で演奏できることが、あまりにも楽しかったのです。

やっぱり自分たちのことを見てくれる人がいるって、あまりにも幸せだよなぁ。

それも待ちに待った、入部希望だと言ってくれる後輩たちなんです。

満たされすぎてて、ちょっと怖いくらいです。

 

後輩の一人が

「バンドやるならベースやりたいと思ってました」

なんて言ってくれて。

あまりにも嬉しすぎて、困ったものです。

ベースを知ってるだけでもう十分なのに、やりたいって言ってくれる子いるの。

ギター持ってた子も似合ってたしさ。

 

見にきてくれて、楽器を触っている後輩を見て思ったんです。

 

努力が実るその瞬間って、こんなにも輝くんだって。

 

やっぱりにやけは止まらなくて。

これも全部、頑張ったからなはずなんです。

 

後輩が帰った後、徐に一曲を弾くことになって。

全員テンションが高かったから、それはもうノリノリなわけです。

こうやって合わせる曲が、一番楽しいんですよね。

 

帰り道。

ギターとドラムと全員で歩いて、たった3分の道だったはずなのに、それだけでもう嬉しくてたまらなかった。

メンバーもそれは同じで、ギタボとは部活を作ってきた者として、二人しておかしいくらい笑っていました。

頑張ってよかったよ。

いい天気の話で笑いたい

以前「ブログを書けるくらい時間欲しいよね」って話してて。

学校始まるから、日記は書けないかなと思っていたのに。

想像していたより暇だった。

 

授業が始まったらすぐ忙しくなるんだろうと思っているんですが、

どうなんだろう去年よりも忙しいのかな。

 

暇な期間に前倒しで、やらなきゃいけないことをやれたらいいなと思います。

明日までにこれやってとか、今日中に提出してって23時に連絡がきたり、そういうものってありますもんね。

全部空いてる時期にやっておきたい。

 

朝、前日に早く寝たおかげで5時台に目が覚めて、二度寝して気が付けば7時。

部活をやっている子がすでに顔を洗っていて、早いなと思いながらスマホをいじっていました。

 

最近、3か月くらい前から恐れていたことがついにおきたのです。

オブラートに包んでいえば、他のことが忙しいだろうからこの仕事は任せてくれと。

直球に言えば、仕事をクビにされたわけです。

私たちなりには結構頑張ってきたと信じているんですけど、聞いたところによると邪魔だったらしいのです。

バンドと裏方の仕事、どっちを取りますかと言われたらそりゃあ、バンドを取るだろうって。

先輩たちもわかってたんだろうと思います。結局二人して、バンドを取ったものですから。

あまりに立場が悪すぎて、反論すらできないし、もはや権限がない。

自分の弱さを痛感しました。

先輩たちの言い分は理解できる。実際、それを聞いた時からやるだろうってわかってたし。

ただちょっと悲しくなりました。

 

そんなことを朝から友人と話していて。

結局、二人して来年の学校の話をしているんだから、おかしな話です。

まだ今年も終わってないのに。

どうにかして最悪を免れたくて、抗う気ではいるんです。でもなんせ2年だし、権力ないし、味方が多いわけでもないからさ。

彼女は私たちがいなくなったら困るって言ってくれるけど、大勢にとってはどうでもいい問題だろうし。

高校生の1年って大きいなと、そう感じます。

大人になったらきっと大層変わらないのに、もうそれだけで負けるしかないから。

 

昼食を食べ損ねて、13時くらいに一人でのろのろご飯を食べていたんです。

そしたら友人が登場して、あれよかれよと買い物へ行くことになりました。

 

友人が部屋までやってきて、見せたかった本を見せて。

外に出ると別の友人たちが、スイカ割りしたんだけど食べる?とスイカをくれました。おいしかった。

歩いているだけで誰かに会うところがあまりに寮生活で、懐かしくなりました。

そこでまあ、バンドメンバーたちと会って。

結局一人とは裏方の話があるだろうし、もう一人とはなんだかんだ部活の話をするんだろうけど。

正直あまり見れていないけれど、その視線とかはやっぱり変わらないなって。

今度話そうと言われたとき、彼らだけでいいから、そのままの優しい人たちでいてくれと切に思いました。

 

「めっちゃいい天気だね、今日」

そんなことを呟いてしまうほど、天気がいい日でした。

沢山の雲が空の青さを強調していて、眩しいくらいに綺麗な色をしていたんです。

 

二人で誰もいない坂を爆走して、笑って。

いい天気だ、って。

それだけだったんですけど、隣にいる子がいい天気だって、同じように考えていたことが嬉しくて。

あまりに空が青かったから、それを綺麗だと感じたから。

それだけで笑えるのって、凄いことだと思うんです。

実際友人に、

「ネタが尽きたとか関係なく、いい天気だって話をしたくない?」と言われて。

よく、話すことがないから天気の話を使うことが多いけれど、本当にいい天気だと感じたならそれでいいじゃないかって。

そんなことを言っていたんです。

今日初めて履く靴も、汚れる理由が二人で芝生を歩いたことならいいやって思いました。

そうやって話せるだけで、私は嬉しいよ。

ノートも買えたことですし、これで学校が始まっても授業が受けられるはずです。


最近、後輩と仲良しな友人と話していて。

その子に、軽音部を後輩たちに宣伝しておいてほしいとお願いしていたわけです。

そして聞いたところによると、部に入りたいと言ってくれている後輩がいるらしいのです。

これで、勧誘がとにかく辛いなんてことは無くなったはずです。

しかし最近、

色々な人から「今年もバンドやるのー?」と聞かれてきて、もはや心配になってきました。

バンドやるよね……?

 

夜ご飯は友人と食べに行きました。

寒すぎると言う友人のことを見ながら、10分くらいでご飯を食べて。

友人がとにかく面白くて、おかしかった。

 

 

学校に入った瞬間からあまりにも多すぎる恋バナを耳にして、頭がパンクしそうです。

彼氏か、彼女か。

誰が付き合ったとか、誰が別れたとか、こんなに情報の入ってこない人間が知っているわけがないのです。

それを私の部屋に来て話すのもいいんですけど、何を喋ればいいんでしょう。あまりにも自分が話せることなんてなくて、苦しいばかりです。

誰かに秘密にしてって言われたことは、何が何でも絶対守り抜きたいし。

かと言って、自分は彼氏が欲しいわけでも、好きな人がいるわけでもないんだから話すこと無いし。

彼氏欲しいーって言い合うのは楽しいんです、話の一環として。でも本心で欲しいと思った事は、今思うと無くて。

もはや矛盾しすぎていて、自分でも訳が分かりません。

今この状況で、最もバンドルームへ行きたがっているのは私なんじゃないかと最近思いました。

ちょっとくらい逃げてないとやってられないかもって。

 

 

授業が始まったら、ブログも書けなくなるんでしょうか。

たまには空を見上げて、書きたいことがあったらこうやってパソコンやらをいじろうと思います。

夏が終わる

幸せだなぁと、つくづく思います。

家族がいて、友達がいて、一人ぼっちではなくて。

目立つ才能なんかないけど、綺麗ごとばかりを語ってきて。

実際、それを評価されて褒めてもらって。

こうやって身勝手なことばかり言ってても、友人でいてくれる仲間がいて。

喋ってくれる誰かが、周りにいて。

 

 

やっぱり幸せだなって。

 

 

私の語る言葉はペラペラなのです。

宙を舞ってて、地面に足がついてない。

 

 

そんな私に相談をしてくれる、優しい人たちがこの世の中にはいて。

色々な話を聞くのです。

それはそれはここに書ききれないくらい、壮絶な人生が溢れていて。

なんでこんなにのほほんと生きてこれたんだろうと、不思議に思います。

 

自分も落ちぶれて、死にそうになる日が来るんだろうなって。

そういつか思ったのに、なんだかんだ今も普通に、至極まっとうに生きてて。

何してるんだろうって。

 

 

急にリビングに呼び出された、あの夜。

なんで今なんだと心のどこかで思って、でも何だか反抗しちゃ駄目な気がした、そんな日。

お母さんが目を真っ赤にしながら言ったんです。

「おじいちゃんが亡くなったよ」

ああ、と。

人間ってやっぱ死んじゃうんだって。

 

私は遠くに住んでいて、お葬式には行けませんでした。

友達にそれを言ったら、私だったらそれでも無理やりにでも行こうとするよ。と言われました。

きっとそれは正解で正しくて、そうだね、と言いました。

私はあんなに焦っているお父さんを始めて見て。

私だけは困らせちゃいけないと、そう思ったんです。

一番辛いのは、実の父を亡くしたお父さんだったはずだから。

 

 

小学生の時に、初めてお葬式に行きました。

ひいおじいちゃんはいろんな人に慕われて、それはそれは大きな会場で。

その時に漠然と「私もいつか死ぬんだな」って、そんな恐怖を抱いたことを覚えています。

初めてであり、最大の恐怖が目の前に現れたのが、その日だった。

「私って死なないかな」

そんなことを何百回とお母さんに問いかけて、そのたびに返事をもらって、それでも目をつぶるのが怖かった。

 

そんな時があったなって、思い出します。

 

 

おじいちゃんが亡くなった、

そう聞いたときはお母さんがいかに涙目でも、お父さんが今からでも飛行機に乗ろうと焦っていても、実感が湧きませんでした。

重すぎる空気に潰されて、一人部屋に戻って。

ある曲のMVを観たい、そんな気分になりました。

パソコンで曲名を検索して、見つけたサムネイルをクリックして。

ただその一曲に見入っていたんです。

 

幸せな映像ばかりが詰められた一曲。

それこそ、平和を絵にかいたような、沢山の誰かの笑顔が詰まった歌。

気づいたら涙が溢れてて、一つの言葉が脳裏に浮かびました。

 

私が小さい頃、親は年がら年中仕事で忙しくて、友達はどうしても信用できなくて、ずっと寂しかった。

記憶もない、齢2歳の時、おじいちゃんは私をよく保育園に送り向かいしてくれたと、そう言っていたのです。

小学時代にプロフィール帳たるものが流行りました。

そんな流行に乗って集めていた私は、親戚の全員に紙を配っていたわけです。

最後のメモ欄、人があまり埋めない場所。

じいちゃんの紙にはこう書いてありました。

『(私)のことは子供のころから知っているから、我が子のように思っているよ』

うざかったこともあった、正直なんでこんなに口出しするんだろうと思って、煙たがった時もありました。

でもじいちゃんは確かに自分のことが好きで、私のことをちゃんと思ってくれてて。

6人いる従姉弟の中で、きっと私のことをめちゃくちゃ考えてくれたんじゃないかな。

MVを見ていた時、当時貰ったときは全く響かなかったこの言葉を、不意に思い出しました。

じいちゃんは、幸せだったかな。

 

 

じいちゃんは一度心臓が止まったことがあるらしく、ずっとペースメーカーを入れていました。

初めて知ったのは一緒に東京観光をして、生まれて初めて東京スカイツリーに上った時。

手続きをしている時に、受付の人に何かを見せているのが見えて。

「おじいちゃんは、心臓に機械が入ってるんだよ」

そんなことを母かおばあちゃんから言われた気がします。

 

 

じいちゃんはさ、癌だったんだって。

私知らなかったよ。

もう余命もあったんだってさ。

死んじゃって初めて知ったよ。

海外に住んでた私たちと会うために、

「あと1年、1年だけ生きられませんか」

ってお医者さんに聞いてたんだって。

 

 

行きたかったなぁ、会いたかったなぁ。

 

 

私だって、じいちゃんともっと喋りたかったよ。

 

 

 

この夏、石屋さんだったおじいちゃんが死ぬ前からこだわって作った、お墓に行きました。

お墓参りです。お盆には行けなくて、ちょっと遅くなっちゃったけど。

 

タイミングが悪くて、きっと親戚の中で私は唯一、法事に行けたことがありません。

祖父不孝な孫でごめんね。

家に帰るちょっと前、

「手を合わせてきなー」

そう言われ、二人でお仏壇のある部屋へ移動しました。

木魚の先にある光を灯して、弟がリンをちーんと鳴らして、手を合わせます。

目を開けた時、おじいちゃんの顔が視界に入りました。

それで、初めて、ようやく。

「おじいちゃんに会いたかったな」って。

そう漠然と思いました。

 

なんでかわからないけど。

その時、そう思って。

不意に喉が詰まった気がしました。

 

やっぱりどこまでも祖父不孝な自分は好きじゃないけど。

じいちゃんが好きだった自分のことは、好きでいたいなって思うよ。

 

 

8月が終わります。

それと同時に夏が終わり、友人に会って、学校へ続く道を走って。

記憶が薄れ、少し美化された生活に思いを馳せるのです。

 

聞いてよって相談してくれたり、

良い曲見つけたって報告したり、

ただ隣にいて時間を潰したり、

ローファーを鳴らしながら歩いたり、

会議しようって喋れることが嬉しかったり、

ベットに寝っ転がってダラダラしたり、

知らない曲を流しながら踊ってる友達を見たり、

宿題が終わるようにパソコンとにらめっこしたり、

バンドルームにいるよって連絡貰ったり、

テスト分からないって言い合ったり、

付き合った!と言う子のお祝いをしたり、

なんだかんだバンドのことばかり考えている自分がいたり、

そんな風であればいいなと、今ならそう言えます。

 

 

夏休み、楽しかったなぁ。

 

 

 

小学生の時は両親が仕事で忙しかったからか、いつもどこか欠けていた。

真っ暗な学童で最後まで残ることも少なくなくて。

先生がかまってくれて嬉しかったけど、それと同時に少しだけ寂しかった気がする。

朝帰りで疲れた顔のお母さんを、今でも覚えてる。

お母さんをこうさせる社会が、大人が、物心ついた時から好きじゃなかった。大人になんかなりたくなかった。

ほぼ毎日外食していたのは嬉しかったけど、お父さんが作ってくれるお好み焼きが一番好きだ。

弟は私よりもっと幼くて。当時彼の前だけはどうしても、お姉ちゃんでいたかった。

「早く帰ってきて」

と嘆きながら、連絡しようとする弟に、

「お母さんは頑張っているんだよ、迷惑になっちゃうからやめよう」

そう言って、止めたこともあった。

私だって早く帰ってきてほしかった。

でも分かっていた。仕方ないって。

ずっとアニメに出てくるような、家に帰ればお菓子を持って「おかえり!」と言ってくれる、そんなお母さんに憧れていた。

でも現実はそうじゃない。

辞めようよと何回思ったって、その願いが叶うことはなかった。

結局お母さんは、風邪ひいて寝込むまでバリバリに仕事を続けて。

そんなお母さんを見て、子供だから何もできないことが、悔しかった。

 

居場所が欲しかった。

何かもっと好きになるものがあれば、心の穴も埋まるはずだった。

クラスの代表に立候補して、吹奏楽をやって、バンドもやって、毎週水曜日は公園で鬼ごっこをして、好きな先生がいて、塾とかも行かせてもらって、学校が大好きな子供に育って。

本当に楽しかった。充実していたし、悲しみを覚えることなんて無かった。

それでも、先生の前で泣いた。

お母さんが家に帰ってこないんです。だから夜もずっと起きてるんですって、そう言った。

言いながら涙を流している自分がいて、悲しいんだなって、その時初めて自覚した。

今思えば寝たって変わらないだろうって話だけど。

先生に反抗して、何度も怒られて、ボロボロに泣いていたのも。

きっといつだって独りで、何か足りない気がしていたから、苦しかったのかもしれない。

やっぱり当時から、私のすべては家族だった。

 

親には迷惑ばかりかけて、反抗期だって酷かった。

今でも、これからも、沢山の心配をかけると思う。

でも尊敬する二人に胸を張って、

「大人になったよ」っていつか言うから。

 

 

友達とは、仲違いばかりしていた。

親友になれるかもと思っていた子も、1年経てば必ず疎遠になった。

人付き合いは、どこまでも苦手だった。

相手を何度も傷つけたのは、絶対に自分の方だった。

それなのに優しくしてくれる人が中にはいて、でも信頼することはできなかった。

どうせ仲が悪くなる、きっと外では私の悪口を喋ってるんだ。

人と喧嘩している自分は、誰かと本当に仲良くなることは出来ないんだ、って。

そうやって友達の存在が信じられなくなって、そんな自分が嫌いだった。

 

でも、今はね。

信頼できるって思える友人がいるよ。

この人になら相談したいって、そうやって思っちゃう友達が、初めてできたんだ。

友達には迷惑かけるだろうから相談事はしないと、ずっと決めていたのに。

気がついたら「電話できたりする?」なんて言って、全部を話していた。

いつも天邪鬼で、捻くれ者で、誰かに頼ることを悪とまで考えていた私が、一瞬の迷いもせずに文字を打ち込んでいた。

あまりに素直だったから内心、自分じゃないようで恐ろしくなった。

原因の8割は私のせいだと、そう人に言われて。

頑張った、順調だと勘違いしていたせいで、周りが全く見えていなかったことに気づいた。

本当に心の底から、申し訳なかった。

やっぱり私は、いつも問題ばかり起こしていると気づかされた。

 

でも君は、私のせいではないと、そう言った。

大抵のことは私の味方でいたいって、そんなことを言っていた。

全部と言わないあたりにお世辞を言わない性が出ていて、安堵した。

この言葉がどこまで本心かどうかなんて知ったこっちゃない。この際、嘘でも構わない。

ただ、嬉しかった。

私を信じてくれる子が一人でもいるんだ、って。

このままじゃ共犯者だ、なんて考えて。今にも泣きたかったはずが、笑えていた。

君は感謝するって言っていたけれど、感謝したいのは私の方だよ。

実際、私はその時に変わっちゃったらしい。

壁を作って、距離感じるよねと未だに言われる私が、友達を信じることを学んだ。

信じてもいいんだって、思えるようになった。

君のおかげだ。

 

 

一人ぼっちで、友達なんて一人もいなかった中学時代。

おはようもありがとうも、学校では一切言えなくて、いつも空っぽだった。

周りを歩く人が全員、自分より何百倍も幸せそうに見えて、憎かった。

でもそれよりなにより、道を歩くたびにそんなことを思ってしまう自分が、心の底から大嫌いだった。

その当時親はあまり忙しくなくて、家族旅行とかも沢山行けて、お母さんが「おかえり!」って出迎えてくれていた。

私の夢は叶った。

それなのに、いつまでもないものをねだっている事実が、欲深くて醜くくて。

そんな自分を呪った。

死にたいほど辛くはなくて、どこまでも中途半端だった。

いっそのことどん底に落ちちゃえばいいのになんて横切って、少しでもそう考えてしまう自分が嫌いだった。

ヘッドホンで必死に周りを遮断して。

そんなことを思わないようにと、世界から目を背けた。

 

でも中学時代最後には、友達ができたんだ。

優しい子が私のことを見てくれた。

地面と見つめ合っていただけの私が、空を見上げるようになった。

初めてだった友達の家でのお泊り会で、帰り道に見た入道雲が忘れられないから。

 

 

去年の夏に、幼馴染と会った。

お互いが好きな曲を紹介するだけのドキュメントを作って、いいねなんて語り合って。

独り占めしたかった大切な曲を、初めて、人に教えたくなった。

こうやって書きたいことが色々あるもんだから、とにかく長い感想文が出来上がる。自己満なんだから読まれなくていいよなとか思いながら、それを添えた。

でも私の予想に反して「響きまくったよ!!」と嬉しそうに書いてあって、喜んだ。

「思い出して聴けるように、どっかに保存する」なんて言っていたが、どうなったんだろう。

 

今年の春は、バンドメンバーにも聴いてもらった。

アンプの前で地べたに座り、謎のMV鑑賞会が開かれた日。素敵な曲を沢山教えてもらった。

その時に知った曲は、今でも好きだ。

 

教えた人たちにとっては幾多の中の一曲で、記憶になんか残っていないと思う。

でも、それでいい。

これから何回でも会いに行って、聴かせられるから。

 

 

過去の話を、笑って聞いてくれる人がいる。

『人生はネタ集めだ』ってそんな、本音で建前でちょっと強がりを言っていたことも、きっと間違っていなかったと感じた。

こんなに書いたのに書ききれないくらい、まだネタがあるんだ。

いつか、大切な人たちに聞いてほしい。

 

 

「君と仲良くなれてよかった」

「何かあったらちゃんと守ってあげる」

「最大限あなたを信頼してる」

そう言ってくれる人が、信じられないけど、確かにいる。

 

自分の大切な人たちが、笑ってなんだかんだ楽しいよって。

そうやって生きていられたら、いいなと思う。

 

 

 

じいちゃん、

じいちゃんが我が子のようだと言ってくれた私のこと。

やっぱり大切にします。

 

 

最後に会った私は中1で、送ってくれた車から手を振っていたよね。

もう高2になっちゃったよ。

生きてることは当たり前じゃないって知ってた。

でも会えるもんだと思ってた。

 

 

じいちゃんには全然祖父孝行できなかったから、

代わりにはならないけど、

今年はばあちゃんに沢山会いに行ったんだ。

 

私が好きな映画に二回も行って、二人でご飯食べに行って。

 

 

最近ばあちゃんが言っていた。

「来てくれるだけで嬉しいよ」って。

 

その言葉を信じてる。

 

そうであってくれと願ってる。

 

 

小さい頃から学校は好きな方で、

それでも毎年、休みは楽しみだった。

 

だって、家族とじいちゃん家に行けるから。

 

従姉妹に会えて、じいちゃんたちに甘やかしてもらって、好きなゲームとかもできて、大きな丸机囲ってご飯食べられるもの。

 

でも、冬休みが一番好き。

理由は単純で大好きな親戚が、皆、揃うから。

椅子が足りなくて、わざわざ違う場所から持ってきたりして。そんな日常が大好きだとつくづく思う。

こたつに入れるのが好きで、一緒に観れる紅白が好きで、ばあちゃんが作ってくれるお節が好きで。

そんな冬にまた、じいちゃん家に行くね。

 

その時にいっぱい楽しかったこと、ばあちゃんに話すから。

きっと見ててね。

髪切ってキャップ

髪の毛を切りました。

さっぱりなわけです。

 

久しぶりに髪の毛を触ってもらって、最後に髪の毛をいじってもらった時を思い出しました。

だから、その時のことを書いておこうと思います。

 

今年は夏フェスに行きました。

バンドメンバーとそのお母さんと、4人で。

ちなみに通常、バンドメンバーは4人です。一人は本格的に退学寸前で、誘えなかったんだと聞きました。

進学できてよかったよ……。

 

お母さんと私は二人部屋だったのです。

シンプルに、初対面な友人の母と二人部屋って字面強いなと思いながら、楽しみにしていました。

想像通り、というかそれを優に上回っちゃうくらい、驚くほどいいお母さんで。

とんでもなく聖人で、びっくりしました。

 

二人で結構色々なことを喋りました。

大人と話すのって、なんだか安心して好きなんです。

バンドの話をして、友人の話をして、女子の裏話をして。全部聞いてくれました。

お母さんが何でも知っていて驚きました。私より、通っている学校について詳しい説すらあります。

 

で、ふと、髪の話になったのです。

「とんでもなく毛量が多くて、はねちゃうんですよね」

そんなことを話していたら、

「明日、ちょっと巻いてみよっか」って。

 

私はとんでもなく髪のアレンジとかが下手くそなんです。

幼い頃から工作ばかりやってきて、多分根は器用なはずなんですけど、お洒落とか、髪のこととかになるとめっぽう駄目で。

そもそも興味がないから、全く練習したことないのが原因なんですけどね。

かつ、私の母もヘアアレンジができません。

小学時代は、ずっと一本縛りで生きてきました。

今の私は一本縛りですら苦手なので、母の方がまだできます。

一本に結んでくれるだけで嬉しかったけど、髪を編み込むとかはしたことがありません。

というか、多分編み込みできないです、私のお母さん。

そんなこと言ってる私も、もちろんできません。

 

だから髪をいじってもらえるのは、本当に嬉しいことなんです。

そう言ってもらえただけで嬉しくて、明日がもっと楽しみになりました。

 

 

朝起きて、その日の午前はほとんどやることがなくて。

「髪の毛やろっか?」と言われました。

覚えてくれてる……!

慣れた手つきで髪の毛を取って、くるくるとコテを使って、髪がどんどんと巻かれていきました。

ごわごわで毛量が半端なく多くて、めちゃくちゃ広がるこの髪が、言うことに従って動いてる。凄い。

「いいねぇ」って言ってもらえて、やっぱりすごく嬉しくて。

堪えきれなくて、へへと笑いました。

自分の髪は量が多くて正直好きじゃないけど、こうやってやってもらえるのならいいかなって。

 

以前、お母さんの息子であるメンバーが、お土産をくれました。

それはそれは暇だった、春休みの話です。

他のメンバー3人はダラダラと寮にいて、ただの冗談のつもりで「お土産待ってるねー」なんて話していました。

そうしたら本当に買ってきてくれたんです、もう頭上がんない。

だいぶ後になって貰った、それを開けて驚きました。

シンプルで可愛らしい、一つのキャップ。

それは、以前愛用していてボロボロになったものと、どことなく似ていたんです。

前使っていたキャップは、夏休みに自分のお母さんから貰ったもので。

2年くらい毎日のように使っていて、もう色褪せちゃったんですよね。

だからこのキャップを貰って思いました、この人わかってるやって。

ちゃんとお洒落好きの彼なだけあるなって。

私より圧倒的にお洒落だし、まあそれは、他のメンバーにも言えるんだけどさ。

 

「あのキャップ、めっちゃ嬉しかったです」

そんなことを、髪をいじってくれているお母さんと喋ってて。

「『あんまり女子っぽいのじゃないのがいい』って言ってたのよ。それ可愛いよねー」

よくわかってる。お母様の息子、めちゃくちゃわかってる……!

そうやって思ってくれていたのを知って、本当に嬉しかったわけです。

 

 

今日は髪を切って、縮毛矯正をしました。

理由は単純で、以前友人とお泊り会をした時に、凄く勧められたから。

いつかやろうと思って、折角だからこの夏が終わる前にやることを決めました。先延ばしにしたらやらないもんな、この人。

 

そうしてかけました、縮毛矯正。人生初。

前髪がピーンとしてて、髪の毛がサラサラになって。

もう嬉しいったらありゃしません。

これで毛量が多くて悩むことも減るぞって。

ただね、ちょっと切りすぎまして、確実に。

 

美容師のお姉さんに梳く?って聞かれて、もうガンガン梳いてください!と言ったのです。

そうしたら、顎下くらいまであった髪の毛がわっさわさと消えていき。

顎と同じくらい、もしくは上くらいまで短くなりました。

去年の今と、全く一緒です。

 

 

私はボブが大好きなんです。

何が好きかって、地面に写る、そのシルエットです。

正面は鏡に立たないと見えないけど、自分が一番よく見るのは影だから。

 

そのため髪を切るのが好きなんですけど、写真を撮るとなると別で。

もう少しくらい長くないと、それはそれは写りが悪くなるのです。幼いと言うか。

まあ大人っぽいのは性じゃないから、全然いいのだけれど。

折角メンバーたちが、私の動画も撮るねって言ってくれてるのにさ。

でもいいのです。

髪切れたし。大好きなボブになれたことだし。

でも、今度友人のお母さんに会うときまでには、ちょっと伸びてるといいな。

なんて、矛盾したことを思っている自分がいます。

 

 

美容室に行った帰り道。

誰もいない公園の前を通りました。

急にブランコが漕ぎたくなって、一人で座りました。

頭の中では夏の歌が流れてて、外では蝉の声が響いていました。

少しぶかっとなったキャップを被ってブランコを漕いでいたら、キャップが飛んでいきそうになって。

なんだか可笑しくて、笑いました。

 

世の中には、カメラで収まらないくらいの些細なことが溢れてて。

いつかはゴミ溜めに捨てられるような、そんなことが山ほどあります。

だけど、そんな思い出を一つ残さず拾い集めて、全部取っておきたいなって。

正直記憶力ないので、全ては無理だけど。

こうやって言葉に起こして、忘れないようにと大切に思って。

そうすれば、もうないはずだった記憶も、少しは残ると信じています。

 

けれどやっぱり、カメラは好きなので。

動画なりなんなりいっぱい撮られる覚悟で、でもそれよりも、私がもっと撮ってやるぞって思っています。

 

 

去年の私と、全く同じ髪型になって。

でも、去年と違う私がいます。

去年の今頃は、友達作らなきゃ、またぼっちになっちゃうよって、思っていました。

面白くもないのに笑ったり。まあ、自分なりに頑張っていました。

仲良くなった後に、友人にこう言われました。

「初めの方の(私)、結構怖かったよ」

確かに、と今になって思います。

ピリピリしてた、どうにかしなきゃって。

でも、今は違くて。

自分のことを少しでも考えてくれている友達が、有難いことにいるから。

 

 

前の学校で、ぽろっと言われたことがあります。

「(私)は笑ってばっかりだよな、言葉わかんないもんな」って。

多分言った人に悪気なんてなくて、本当にその通りで、悔しさすら感じなかった。

去年の今頃もきっと、自分に嘘をついて笑っていた。

でも、今はさ。

本当に楽しいと思って、笑えることが増えたんだ。

だから、嬉しいんです。

 

 

前のキャップは、人目を避けるために被ることも多くて。

でも今回は、きっと違います。

 

……待てよ。

 

前髪はどうするかを聞かれて、どうせすぐ伸びるよなと思い。

「オン"ザ"眉くらいでお願いします」

オン眉は流石にカバーしきれないだろうと、そう言いました。

私は忘れていたのです、矯正した事実に。

もちろんばっさり短くなって、一瞬SHISHAMOのボーカルかと頭をよぎりました。

調べてみたら、もっと短くて、こんなもんじゃなかったけど。

今思えば、サバシスターのボーカルもオン眉だし。

ガールズバンドのボーカルはオン眉説を検証してみたら、一瞬でSilent Sirenが浮かんで、その説は見事に消え去りました。

オン眉が似合う人って凄いよなと思いながら、

前髪可愛いね、短い方がいい。みたいなことを、美容師のお姉さんに言われたのを思い出して、我に返ります。

今まさに、キャップ被って隠せるーとか思ったけど。

短い方が可愛い、のか……?

 

 

まあ、でもやっぱり、人目を避けるためではなくて。

そうやってちょっと成長出来たらなんて、今はまだ新しいキャップを見ながら、そう思います。

最強な私のばあちゃんと、バンド

昨晩の夜中、金縛りにあって眠れなくなりました。

凄く眠いのに、目を瞑るのがちょっと怖いのです。

一晩で3回も金縛りにあう、それこそ金縛りのループに入ってしまいました。

抜け出すためにも、一回起きてスマホを見ていたら『Oasis再結成』と書いてあって、午前4時なのに目を見開きました。

思わずバンドのLINEで「Oasis再結成するって」と打ち込んで、こんな夜中に何やっとんねんと思い直しました。

金縛りの理由を調べたところ、不順な睡眠習慣によるものが多いとのことです。

 

……午後4時から車で寝続けたせいですね。原因はっきりしてた。

 

 

おばあちゃん家から帰ってきました。早いって。

5時間くらい車に揺られていたわけですが、9割夢の中だったのでほとんど記憶はありません。

ただ入道雲が信じ難いほど大きくて、夏が終わりそうで、なんだか泣きたくなりました。

 

 

おばあちゃんと二人で、映画ぼっちざろっくの後編を見にいきました。

前後編、おばあちゃんと観た人なんてそうそういないのでは。

そんなことを思いながら隣に座るばあちゃんを横目に、結束バンドのライブを見てました。

映画での新曲以外の再入歌を全部知ってて、私って結束バンドの歌好きなんだなとあらためて思いました。

新曲オープニングも良かった。そしてエンディング、ほんと最高か。

色々なシーンで鳥肌が立ちまくって、鳥肌ってこんな頻繁になるものかと逆に心配なりました。

 

文化祭のシーン、実際に機材トラブルを経験した後に観たら、すごく緊張しちゃって、怖くなりました。

というのも、自分も文化祭で、機材が壊れたことがあるのです。

前日のリハまで、今日もブイブイ言わせるぜーと言わんばかりに動いていた、アンプが。

文化祭ですよ。今回は初めて親も観にこれる舞台で、メンバーのお母さんも来てたのに。

急にびくとも言わなくなった。まさか壊れるだなんて思わないじゃん。

その本番は、自分的にも凄く力を入れて頑張ったものだったのです。友達をゲストボーカルとして誘って、コラボした曲たちだったから。

険悪になりそうな話し合いの間に立ったりして、何度も合わせ練習して、夜中に寮の洗面所で歌詞割りやって、そもそも披露するために先輩とかとも掛け合って、会議出て、

なのにこんなことで潰れなきゃいけないのかよって、苦しかったのを覚えています。

本番は結局、始まる数分前にギターが見つけてくれた、とんでもなく変な音が鳴るアンプを使いました。

未だに半分くらい壊れたベースアンプを使っているんだよなぁ。

音が出るなら、もうこの際なんでもいいけど。

その後、文化祭の出し物を全部投げ出して、ギターと片付けしながらアンプを直したんです。

ギターがちょいちょいといじって、「ぼーん」といつも通りの音が出た時、本格的に泣きそうになりました。

 

アンプが壊れて、とんでもなく変な音が鳴るアンプを仮として使った私は、ぼっちちゃんと違って本番にミスをしまくりました。

リードのソロ前にサビのフレーズを弾いてしまったり、そもそも頭真っ白で弾けてない箇所があったり。

何してんだよって話です。

どんなに焦ってるんだか知らんけど、あれだけ練習したフレーズくらい弾けてくれよと今でも思います。

メンバーがネタにしてくれていることが唯一の救いです。

正直、ギターが本番でミスったことも私は全く気にしてないし、もはや忘れてるし。

気にしちゃうのは自分だけっていうのは、大きいかもしれないですけど。

ぼっちちゃんや喜多ちゃんほどまでは言わないから、何か問題があっても焦らず弾けるようにならないと、と思います。

本番真っただ中で壊れる方が恐怖ですね。もう嫌だ。

正直、アンプの不備は焦ってなければ自分でも直せていそうなもので、本当に情けなくなりました。

直してくれたギターには感謝だし、あそこで彼が大爆笑してくれなかったら多分普通に泣いていたので、ほんとよかったです。

なんだかんだ、あの時間も楽しかったから、救われてる。

 

ギターが、曲は夜書くのがいいんだと言っていたので、眠れない夜に新しい歌詞を書いてたら、だいぶカオスなものになって一人で笑っていました。深夜テンションって怖いな。

 

おばあちゃん家に泊まっていた間、年に一度しか行かない温泉に行きました。

従姉妹たちと一緒に、露天風呂のある祖母宅から近い温泉です。

去年はゲリラ豪雨が降ったんです。

雫が水面で跳ねるのが目視できるほどの、激しい雨が。

その中で、私たち従姉妹三人は天井のない露天風呂に入りました。もちろん上半身は雨でびしょびしょです。

でも下半身は温泉に入っているわけですから、温かいのです。

「こんな経験、もう二度とできないよ!」

目を心底輝かせながら、そう言い放つ8歳の従姉妹。彼女は人生二周目なのかと真剣に考えました。

8歳の頃なんて、鬼ごっこのことしか考えてなかったんだけど私。

そしてあろうこと、今年も遠くの空で雷が光っていました。

立て続けに降り始める雨。

従姉妹に言われた言葉を心に刻みながら、とりあえず一人で去年と同じお風呂に入りました。

もちろん、雨に濡れます。

去年はいなかった母に呆れられながら、温泉の中で雨にあたるのもやっぱりありかもしれないと、馬鹿なことを考えていました。

 

 

ばあちゃんに言われたことを思い出します。

映画館へ向かう車内で、おばあちゃんと二人話してて。

「バンドで何やってるの?」と聞かれたのです。

ばあちゃんが知ってるバンドって何だろうと思いながら、頭をひねりました。私たちがコピーしたどのバンドも、確実に祖母が生きた世代ではないから。

大事MANブラザーズバンドとかが、世代かなと言っていましたし。

返事を考えていると、運転席に座るばあちゃんが口を開きました。

「マカロニとか? いい歌書くよねぇ」

……まかろに……マカロニ!!

ちょっと待って、マカロニえんぴつ知ってるの。私のばあちゃん。

まさかと思いました。最高か。

「マカロニえんぴつ知ってるの?」

「知っとるよー。テレビ出てるもんね」

偉大だ、今の歌番組もチェックしている祖母。

というか、ばあちゃんのマカロニ呼び面白い、好き。

「ミセスとかも、あんな凄い歌詞書けるってことは、いろんな経験をしたんだろうねぇ」

あれ、私のばあちゃん、なんでも知ってるぞ。

自分がおばあちゃんになった時、私はこんなに孫の好きなものを語れるようになるのでしょうか。

あまりにも当たり前かのように、私が今も聞いているバンドについて話しだすんですもの。

マカロニはバンドで何回もコピーしてるし、実際メンバーみんな大好きだしさ。バンドメンバーに向けて作った動画も、マカロニの曲だったりします。

ミセスは小さな頃からドライブでよく流れていたから、未だに聞くと、酔わないようにと助手席に座りながら大熱唱していた記憶を思い出して、懐かしくなるのです。

「ベースの弦って高いんでしょう? 前変えてたの大丈夫かなと思って」

以前、祖母家にあったベースの弦を張り替えたことを、思い出したようにそう言われました。

どこまで知ってるんだ。

もはやどこかでバンドでも組んでたのかと錯覚するほど、バンドについて語りだせる祖母でした。

ちなみに変えた弦はおじさんが元々持っていたものだったので、一銭も払っていないと言うと、そっかぁと微笑んでいました。

最強、大好き。

 

映画を観た後、

「楽器弾きたいんじゃない?」と言われ、なんでもお見通しだなと思いながら今日、ライブの動画を送りました。

インスタとかやってないし、きっと私が送らないと見れないだろうから。

もしかして知ってるかもと思って、マカロニの歌を披露した動画を送りました。私はこっち側でベース弾いてるよと添えて。

既読が付いて、返ってきた言葉。

「マカロニはよくわかんないけど、とにかくすごいよ(私)ちゃんは👏」

いや、よくわかんないのかい。

上手い締め方が知りたい

また来た、ばあちゃん家。

何回行くんだろう。嬉し。

 

 

どうしようもなく音楽を聴くのが好きで、よくMVを漁っています。

自分が、その時ハマった曲を何百回とリピートするタイプなのもあり、気づけば同じ曲ばかりを再生しているのです。

ビビッとくる歌が見つけられたらそれは嬉しくて、その曲ばかりを聴いています。

 

 

最近、アニメの総集編を見てたんです。

そうしたら第一話が公開されてて。

流しながら作業するかーって気軽に見たら、あまりにも自分に刺さる回で。

シンプルに頑張ろって、励まされた気になっていました。

 


話の内容的に、2年生になった子たちが、新入部員を勧誘するみたいなストーリーだったんです。

うん、まんまうちらやん。

そして、1年生の子が部活に来てくれないんです。

それの理由が、部員があまりにレベル高くて、かつ凄く頑張っているから入りずらい。

私たちのレベルが高いかは知りませんが、力を沢山入れてるから加入しづらいはもう、そうなってしまいそうだなって。

その時に、映像とか言葉を語るんじゃなくて、ライブを生で見てもらう。

そう宣言したところで、心打たれました。

 


新入生を歓迎するにはどうしたらいいか、というのはなんだかんだずっと考えていて。

知ってます、私が悪い未来ばかり考えてしまってることも。

でも部活にしたんだから、私たちの代で廃部にするわけにはいかないし、そんなことしたくない。

このまま高校でバンドをやってたって悪くないけど、それじゃあどこまでも遊びで終わってしまう。

だったら少しでも、未来の子に選択肢を残せたら。小学時代の私のように、バンドを見てやりたいと思った子が、挑戦しやすい場所があればいいなって。

私たちが作った私たちのための部活だってことも本当で、矛盾だらけだけど。

もはや、全部本当の気持ちです。

 

 

 

私の人生の楽しみは色々あります。

配信された曲のMVを見ること、作品の続きを楽しみにすること、バンドで音楽するのだってそうだし、家族とおかしな話をするのだって楽しい。

でもそれだけじゃ足りないほどの楽しみの中に、誰かさんのブログを読むってのがどうしても入っちゃうから、なんか解せないというか。

悔しくはないんですけど、舵握られてるみたいで。だって、新作出てたらめちゃくちゃ喜んでる自分がいるんだもの。

詩送るの、嫌だって言ったら許されないだろうから送ります、覚悟決めました。

軽く喋っちゃうのは悪い癖です、善処します。

心配性と言われたことないだけで、私もそれなんじゃないかって初めて思いました。

君らのおかげもあって、私の青春も負けてないのです。

誰もが憧れるかわいいJKになんかなれないし、誰かを救えるようなかっこいいヒーローなんてなれないけど。

これでいい、これがいいんです。

先なんか見当つかない今を、ただ青いと信じて歩きたいから。

 

 

明日も何か起こるでしょうか。顧問決まってくれ。

日記帳はノート取り出せば書きまくるけど、開かなくなったら急に期間空く

書く気があるうちに、書かないと。

そう思ってブログを書くことにしています。

 

たまに読むと面白いんだよな日記って。

あまりにリアルすぎて、毎日は到底読めないけれど。

 

そういえば、いつ作詞しろって言われてもまずくないように、ぼーっと詩を書いてみたんです。

なんか日記と同じくらいのノリで。

そうしたらあまりに陰険で。

こんな暗いやつで大丈夫なのかと心配になるくらい、鬱々しい。私ってこんなんだっけ。

もっと可愛げある詩を書いてほしいって、自分に思っています。

昨日「ごはんはおかず」をモチーフに書くよとか言ってたの、どこ行った。

 

というか、曲作るのって相当ハードル高くないですか。

鼻歌で弟がよく作ってるような10秒程度の曲ならいいんだけどさ、もっと真剣なやつって思うと全く思い浮かばないというか。

正直、歌詞だけ書いたところで今の私には駄目やんと思ったんですね。メロディないとこれ、詩集的な感じになっちゃう。

もはや、それはそれでいいのか……?

興味あったら送るね、とどうせ読んでるであろう、某ギタリストに向けて言っておきます。

作曲練習すればいいのか、練習したらできるのかすらもわかりません。

というか学校始まるて。

今年は、メンバーの作る歌を楽しみにしていこうー。

 

短いけど、とりあえず。