幸せだなぁと、つくづく思います。
家族がいて、友達がいて、一人ぼっちではなくて。
目立つ才能なんかないけど、綺麗ごとばかりを語ってきて。
実際、それを評価されて褒めてもらって。
こうやって身勝手なことばかり言ってても、友人でいてくれる仲間がいて。
喋ってくれる誰かが、周りにいて。
やっぱり幸せだなって。
私の語る言葉はペラペラなのです。
宙を舞ってて、地面に足がついてない。
そんな私に相談をしてくれる、優しい人たちがこの世の中にはいて。
色々な話を聞くのです。
それはそれはここに書ききれないくらい、壮絶な人生が溢れていて。
なんでこんなにのほほんと生きてこれたんだろうと、不思議に思います。
自分も落ちぶれて、死にそうになる日が来るんだろうなって。
そういつか思ったのに、なんだかんだ今も普通に、至極まっとうに生きてて。
何してるんだろうって。
急にリビングに呼び出された、あの夜。
なんで今なんだと心のどこかで思って、でも何だか反抗しちゃ駄目な気がした、そんな日。
お母さんが目を真っ赤にしながら言ったんです。
「おじいちゃんが亡くなったよ」
ああ、と。
人間ってやっぱ死んじゃうんだって。
私は遠くに住んでいて、お葬式には行けませんでした。
友達にそれを言ったら、私だったらそれでも無理やりにでも行こうとするよ。と言われました。
きっとそれは正解で正しくて、そうだね、と言いました。
私はあんなに焦っているお父さんを始めて見て。
私だけは困らせちゃいけないと、そう思ったんです。
一番辛いのは、実の父を亡くしたお父さんだったはずだから。
小学生の時に、初めてお葬式に行きました。
ひいおじいちゃんはいろんな人に慕われて、それはそれは大きな会場で。
その時に漠然と「私もいつか死ぬんだな」って、そんな恐怖を抱いたことを覚えています。
初めてであり、最大の恐怖が目の前に現れたのが、その日だった。
「私って死なないかな」
そんなことを何百回とお母さんに問いかけて、そのたびに返事をもらって、それでも目をつぶるのが怖かった。
そんな時があったなって、思い出します。
おじいちゃんが亡くなった、
そう聞いたときはお母さんがいかに涙目でも、お父さんが今からでも飛行機に乗ろうと焦っていても、実感が湧きませんでした。
重すぎる空気に潰されて、一人部屋に戻って。
ある曲のMVを観たい、そんな気分になりました。
パソコンで曲名を検索して、見つけたサムネイルをクリックして。
ただその一曲に見入っていたんです。
幸せな映像ばかりが詰められた一曲。
それこそ、平和を絵にかいたような、沢山の誰かの笑顔が詰まった歌。
気づいたら涙が溢れてて、一つの言葉が脳裏に浮かびました。
私が小さい頃、親は年がら年中仕事で忙しくて、友達はどうしても信用できなくて、ずっと寂しかった。
記憶もない、齢2歳の時、おじいちゃんは私をよく保育園に送り向かいしてくれたと、そう言っていたのです。
小学時代にプロフィール帳たるものが流行りました。
そんな流行に乗って集めていた私は、親戚の全員に紙を配っていたわけです。
最後のメモ欄、人があまり埋めない場所。
じいちゃんの紙にはこう書いてありました。
『(私)のことは子供のころから知っているから、我が子のように思っているよ』
うざかったこともあった、正直なんでこんなに口出しするんだろうと思って、煙たがった時もありました。
でもじいちゃんは確かに自分のことが好きで、私のことをちゃんと思ってくれてて。
6人いる従姉弟の中で、きっと私のことをめちゃくちゃ考えてくれたんじゃないかな。
MVを見ていた時、当時貰ったときは全く響かなかったこの言葉を、不意に思い出しました。
じいちゃんは、幸せだったかな。
じいちゃんは一度心臓が止まったことがあるらしく、ずっとペースメーカーを入れていました。
初めて知ったのは一緒に東京観光をして、生まれて初めて東京スカイツリーに上った時。
手続きをしている時に、受付の人に何かを見せているのが見えて。
「おじいちゃんは、心臓に機械が入ってるんだよ」
そんなことを母かおばあちゃんから言われた気がします。
じいちゃんはさ、癌だったんだって。
私知らなかったよ。
もう余命もあったんだってさ。
死んじゃって初めて知ったよ。
海外に住んでた私たちと会うために、
「あと1年、1年だけ生きられませんか」
ってお医者さんに聞いてたんだって。
行きたかったなぁ、会いたかったなぁ。
私だって、じいちゃんともっと喋りたかったよ。
この夏、石屋さんだったおじいちゃんが死ぬ前からこだわって作った、お墓に行きました。
お墓参りです。お盆には行けなくて、ちょっと遅くなっちゃったけど。
タイミングが悪くて、きっと親戚の中で私は唯一、法事に行けたことがありません。
祖父不孝な孫でごめんね。
家に帰るちょっと前、
「手を合わせてきなー」
そう言われ、二人でお仏壇のある部屋へ移動しました。
木魚の先にある光を灯して、弟がリンをちーんと鳴らして、手を合わせます。
目を開けた時、おじいちゃんの顔が視界に入りました。
それで、初めて、ようやく。
「おじいちゃんに会いたかったな」って。
そう漠然と思いました。
なんでかわからないけど。
その時、そう思って。
不意に喉が詰まった気がしました。
やっぱりどこまでも祖父不孝な自分は好きじゃないけど。
じいちゃんが好きだった自分のことは、好きでいたいなって思うよ。
8月が終わります。
それと同時に夏が終わり、友人に会って、学校へ続く道を走って。
記憶が薄れ、少し美化された生活に思いを馳せるのです。
聞いてよって相談してくれたり、
良い曲見つけたって報告したり、
ただ隣にいて時間を潰したり、
ローファーを鳴らしながら歩いたり、
会議しようって喋れることが嬉しかったり、
ベットに寝っ転がってダラダラしたり、
知らない曲を流しながら踊ってる友達を見たり、
宿題が終わるようにパソコンとにらめっこしたり、
バンドルームにいるよって連絡貰ったり、
テスト分からないって言い合ったり、
付き合った!と言う子のお祝いをしたり、
なんだかんだバンドのことばかり考えている自分がいたり、
そんな風であればいいなと、今ならそう言えます。
夏休み、楽しかったなぁ。
小学生の時は両親が仕事で忙しかったからか、いつもどこか欠けていた。
真っ暗な学童で最後まで残ることも少なくなくて。
先生がかまってくれて嬉しかったけど、それと同時に少しだけ寂しかった気がする。
朝帰りで疲れた顔のお母さんを、今でも覚えてる。
お母さんをこうさせる社会が、大人が、物心ついた時から好きじゃなかった。大人になんかなりたくなかった。
ほぼ毎日外食していたのは嬉しかったけど、お父さんが作ってくれるお好み焼きが一番好きだ。
弟は私よりもっと幼くて。当時彼の前だけはどうしても、お姉ちゃんでいたかった。
「早く帰ってきて」
と嘆きながら、連絡しようとする弟に、
「お母さんは頑張っているんだよ、迷惑になっちゃうからやめよう」
そう言って、止めたこともあった。
私だって早く帰ってきてほしかった。
でも分かっていた。仕方ないって。
ずっとアニメに出てくるような、家に帰ればお菓子を持って「おかえり!」と言ってくれる、そんなお母さんに憧れていた。
でも現実はそうじゃない。
辞めようよと何回思ったって、その願いが叶うことはなかった。
結局お母さんは、風邪ひいて寝込むまでバリバリに仕事を続けて。
そんなお母さんを見て、子供だから何もできないことが、悔しかった。
居場所が欲しかった。
何かもっと好きになるものがあれば、心の穴も埋まるはずだった。
クラスの代表に立候補して、吹奏楽をやって、バンドもやって、毎週水曜日は公園で鬼ごっこをして、好きな先生がいて、塾とかも行かせてもらって、学校が大好きな子供に育って。
本当に楽しかった。充実していたし、悲しみを覚えることなんて無かった。
それでも、先生の前で泣いた。
お母さんが家に帰ってこないんです。だから夜もずっと起きてるんですって、そう言った。
言いながら涙を流している自分がいて、悲しいんだなって、その時初めて自覚した。
今思えば寝たって変わらないだろうって話だけど。
先生に反抗して、何度も怒られて、ボロボロに泣いていたのも。
きっといつだって独りで、何か足りない気がしていたから、苦しかったのかもしれない。
やっぱり当時から、私のすべては家族だった。
親には迷惑ばかりかけて、反抗期だって酷かった。
今でも、これからも、沢山の心配をかけると思う。
でも尊敬する二人に胸を張って、
「大人になったよ」っていつか言うから。
友達とは、仲違いばかりしていた。
親友になれるかもと思っていた子も、1年経てば必ず疎遠になった。
人付き合いは、どこまでも苦手だった。
相手を何度も傷つけたのは、絶対に自分の方だった。
それなのに優しくしてくれる人が中にはいて、でも信頼することはできなかった。
どうせ仲が悪くなる、きっと外では私の悪口を喋ってるんだ。
人と喧嘩している自分は、誰かと本当に仲良くなることは出来ないんだ、って。
そうやって友達の存在が信じられなくなって、そんな自分が嫌いだった。
でも、今はね。
信頼できるって思える友人がいるよ。
この人になら相談したいって、そうやって思っちゃう友達が、初めてできたんだ。
友達には迷惑かけるだろうから相談事はしないと、ずっと決めていたのに。
気がついたら「電話できたりする?」なんて言って、全部を話していた。
いつも天邪鬼で、捻くれ者で、誰かに頼ることを悪とまで考えていた私が、一瞬の迷いもせずに文字を打ち込んでいた。
あまりに素直だったから内心、自分じゃないようで恐ろしくなった。
原因の8割は私のせいだと、そう人に言われて。
頑張った、順調だと勘違いしていたせいで、周りが全く見えていなかったことに気づいた。
本当に心の底から、申し訳なかった。
やっぱり私は、いつも問題ばかり起こしていると気づかされた。
でも君は、私のせいではないと、そう言った。
大抵のことは私の味方でいたいって、そんなことを言っていた。
全部と言わないあたりにお世辞を言わない性が出ていて、安堵した。
この言葉がどこまで本心かどうかなんて知ったこっちゃない。この際、嘘でも構わない。
ただ、嬉しかった。
私を信じてくれる子が一人でもいるんだ、って。
このままじゃ共犯者だ、なんて考えて。今にも泣きたかったはずが、笑えていた。
君は感謝するって言っていたけれど、感謝したいのは私の方だよ。
実際、私はその時に変わっちゃったらしい。
壁を作って、距離感じるよねと未だに言われる私が、友達を信じることを学んだ。
信じてもいいんだって、思えるようになった。
君のおかげだ。
一人ぼっちで、友達なんて一人もいなかった中学時代。
おはようもありがとうも、学校では一切言えなくて、いつも空っぽだった。
周りを歩く人が全員、自分より何百倍も幸せそうに見えて、憎かった。
でもそれよりなにより、道を歩くたびにそんなことを思ってしまう自分が、心の底から大嫌いだった。
その当時親はあまり忙しくなくて、家族旅行とかも沢山行けて、お母さんが「おかえり!」って出迎えてくれていた。
私の夢は叶った。
それなのに、いつまでもないものをねだっている事実が、欲深くて醜くくて。
そんな自分を呪った。
死にたいほど辛くはなくて、どこまでも中途半端だった。
いっそのことどん底に落ちちゃえばいいのになんて横切って、少しでもそう考えてしまう自分が嫌いだった。
ヘッドホンで必死に周りを遮断して。
そんなことを思わないようにと、世界から目を背けた。
でも中学時代最後には、友達ができたんだ。
優しい子が私のことを見てくれた。
地面と見つめ合っていただけの私が、空を見上げるようになった。
初めてだった友達の家でのお泊り会で、帰り道に見た入道雲が忘れられないから。
去年の夏に、幼馴染と会った。
お互いが好きな曲を紹介するだけのドキュメントを作って、いいねなんて語り合って。
独り占めしたかった大切な曲を、初めて、人に教えたくなった。
こうやって書きたいことが色々あるもんだから、とにかく長い感想文が出来上がる。自己満なんだから読まれなくていいよなとか思いながら、それを添えた。
でも私の予想に反して「響きまくったよ!!」と嬉しそうに書いてあって、喜んだ。
「思い出して聴けるように、どっかに保存する」なんて言っていたが、どうなったんだろう。
今年の春は、バンドメンバーにも聴いてもらった。
アンプの前で地べたに座り、謎のMV鑑賞会が開かれた日。素敵な曲を沢山教えてもらった。
その時に知った曲は、今でも好きだ。
教えた人たちにとっては幾多の中の一曲で、記憶になんか残っていないと思う。
でも、それでいい。
これから何回でも会いに行って、聴かせられるから。
過去の話を、笑って聞いてくれる人がいる。
『人生はネタ集めだ』ってそんな、本音で建前でちょっと強がりを言っていたことも、きっと間違っていなかったと感じた。
こんなに書いたのに書ききれないくらい、まだネタがあるんだ。
いつか、大切な人たちに聞いてほしい。
「君と仲良くなれてよかった」
「何かあったらちゃんと守ってあげる」
「最大限あなたを信頼してる」
そう言ってくれる人が、信じられないけど、確かにいる。
自分の大切な人たちが、笑ってなんだかんだ楽しいよって。
そうやって生きていられたら、いいなと思う。
じいちゃん、
じいちゃんが我が子のようだと言ってくれた私のこと。
やっぱり大切にします。
最後に会った私は中1で、送ってくれた車から手を振っていたよね。
もう高2になっちゃったよ。
生きてることは当たり前じゃないって知ってた。
でも会えるもんだと思ってた。
じいちゃんには全然祖父孝行できなかったから、
代わりにはならないけど、
今年はばあちゃんに沢山会いに行ったんだ。
私が好きな映画に二回も行って、二人でご飯食べに行って。
最近ばあちゃんが言っていた。
「来てくれるだけで嬉しいよ」って。
その言葉を信じてる。
そうであってくれと願ってる。
小さい頃から学校は好きな方で、
それでも毎年、休みは楽しみだった。
だって、家族とじいちゃん家に行けるから。
従姉妹に会えて、じいちゃんたちに甘やかしてもらって、好きなゲームとかもできて、大きな丸机囲ってご飯食べられるもの。
でも、冬休みが一番好き。
理由は単純で大好きな親戚が、皆、揃うから。
椅子が足りなくて、わざわざ違う場所から持ってきたりして。そんな日常が大好きだとつくづく思う。
こたつに入れるのが好きで、一緒に観れる紅白が好きで、ばあちゃんが作ってくれるお節が好きで。
そんな冬にまた、じいちゃん家に行くね。
その時にいっぱい楽しかったこと、ばあちゃんに話すから。
きっと見ててね。